商品詳細

セガマークⅢ 本体

SEGA MarkIII

買取できる主なセガマークⅢ 本体

セガマークⅢ 本体の主な買取リストになります。スタンダードモデル、限定モデルをお持ちの方はゲーム買取ブラザーズにお売りください!

セガマークⅢ 本体の買取実績

セガマークⅢ 本体の買取実績とお客さまの声を紹介中です。お持ちのお方はぜひお売りください。

  • セガマークⅢなど計3点を

    セガマークⅢなど計3点を15,000円で買取!

    ずっと家で眠っていたセガマークⅢを買取してもらいました。インターネットで参考価格を見ていたのですが、ゲーム買取ブラザーズさんが断トツで買取価格が高かったです。ネットオークションなどに出品することも考えましたが、買取にしてよかったと思います。ちょっとしたお小遣い稼ぎの気分で買取にはまりそうなので、また利用するときはよろしくお願いします。

  • セガマークⅢなど計5点を

    セガマークⅢなど計5点を20,000円で買取!

    不要なゲームがあると電話したらすぐに対応してくださり買取まであっという間でした。5点買取してもらったので持っていくのが面倒だなと思っていたのですが、わざわざ集荷に来てくださり、丁寧に対応してくれたので何も不便はなかったです。買取って便利なんですね!スタッフさんとゲームの話も弾んで楽しかったので、また利用したいと思います。ありがとうございました。

  • セガマークⅢなど計9点を

    セガマークⅢなど計9点を30,000円で買取!

    親戚の家で眠っていたゲーム機等を出品しました。買取ははじめてで不信感もあったのですが、ライン査定で気軽に調べられたのがよかったです。ぱぱっと買取してもらえて、それなりの額になったのでびっくりしました。今まで買取してもらってなかったのがもったいないくらい。自分の家にも不要なゲームがたくさんあるはずなので探してみようと思います。

セガマークⅢ 本体とは?

セガマークⅢとは1985年にセガ・エンタープライゼスが発売した家庭用ゲーム機です。この時代、家庭用ゲーム機といえば2年前に発売されたファミコンが主流でした。セガマークⅢはファミコンと同等程度の機能を持ち、また違った魅力があるとして一躍話題に。それまでファミコンが単独で家庭用ゲーム機のトップを走り続けていましたが、同じレベルのゲーム機ができたというだけで世間を騒がせたのです。

ただセガマークⅢは日本のトップに躍り出るような人気ゲーム機ではありませんでした。世の中は完全にファミコンの人気が爆発している時代。当時ファミコンを発売する任天堂はサードパーティー制を導入し、様々なメーカーからソフトが発売されていましたが、セガはサードパーティーの支援が受けられずソフトの種類も少なかったのです。やはり選択肢の多いファミコンに人気が集まっていたようですね。最終的な世界累計台数でいうと、ファミコンは6191万台だったのに対し、マークⅢは780万台に終わったそうです。

しかしシェアや性能に関係なくセガマークⅢには根強いファンをたくさん産みました。世間はRPGの時代に移行している最中でしたが、セガでは相変わらずアクションゲームがほとんど。昔からゲームセンターで遊んでいたようなアクションゲームを好む一定の層はセガのマークⅢの虜になっていました。決して新しいジャンルのゲームではないけれど、今まで一番主流だったゲームをずっと提供しつづけていたのです。ファミコン派に対抗してセガ人という言葉も生まれたそうですよ。

人気はファミコンには劣りましたが、機能性は高く買取市場では今でも需要のあるセガマークⅢ。古いゲーム機にもかかわらず高額で買取されていることも多いので、ゲーム業界の歴史の中でも輝いていた存在だったといえるでしょう。

セガマークⅢの歴史

セガマークⅢはSC-3000シリーズやオセロマルチビジョンとの互換性を維持しつつ、機能を

強化したゲーム機として誕生しました。同時発色数、スプライト、スクロール機能などが強化され今までよりリアルにゲームを楽しめるようになったと話題に。

マークⅢが開発中だった頃はハードウエア性能でファミコンに後れを取っている状態でした。ただ1985年にセガマークⅢが誕生したことにより、ファミコンに並ぶ性能を持つ家庭用ゲーム機を世に出すことに成功しました。このセガマークⅢ、実はファミコンよりも性能が上だったそうです。この頃は任天堂、セガ、エポック社の3社が家庭用ゲーム機の時代を作っているといわれていました。

しかしその後はファミコンが爆発的に普及し、1987年にPCエンジンが発売されるまではマークⅢが唯一ファミコンに対抗できるゲーム機となりました。

セガマークⅢは海外にも進出しました。アメリカではシェアが10%程度でファミコンの国外版が市場の90%を占めほとんど普及しませんでした。しかしヨーロッパでは検討し、ファミコンとほぼ二分するほどの普及率だったそうです。ヨーロッパは世界的に見ると小さい市場でしたが、海外でも通用する力は持っていると証明できたことは間違いありません。その後韓国やブラジルでも市場を開拓し、幅広い地域で楽しまるゲーム機になりました。

 

セガマークⅢがトップゲーム機になれなかった理由として、家庭用ビジネスをしてきた任天堂と家庭用ビジネスをしてこなかったセガとの差があると考えられます。セガは業務用が主体で家庭用へ絞り込みをしなかったので人気はファミコンの次に落ち着いたのです。

またソフトの数が少なく一部の根強いファンから開拓できなかったのも理由の1つでしょう。ファミコンではスーパーマリオブラザーズの大ヒットがありましたが、セガマークⅢにはこれに並ぶほどのソフトも生まれませんでした。

セガマークⅢの名作

先ほども書いた通りファミコン等に比べてセガマークⅢはソフトの種類が少なく、発売されたのは84作品に留まりました。ただ根強いファンを生む中毒性の高いゲームソフトや難しいゲームが多かったんです。ということでセガマークⅢの名作と評価されたゲームを紹介していきます。

 

まずなんといってもファンタシースターは欠かせないでしょう。ファンタシースターはセガが開発した最初のRPGだったのでかなり話題になりました。当時はドラゴンクエストの発売により、今までのアクションゲームやシューティングゲームとは違うRPGが社会現象を巻き起こす時代。セガは基本的にアーケードゲームからの移植や、アクションゲームを中心に制作していてのですが、1987年に初めてオリジナルのRPG「ファンタシースター」を発売したのです。

もともとセガはアクションゲームでも技術力が高く、ファンタシースターでもその技術はしっかり発揮されます。なめらかに動く3Dダンジョンや戦闘時に敵のキャラクターがアニメーションする仕様はセガにしか生み出せないもので、世間を圧倒しました。

主人公が女性であったり、SFタッチの世界観やストーリーはその当時のメジャーRPGゲームとは全く違った雰囲気で、セガ独特の他とは何か違うという印象をもっていたようです。この他とは違う感じが根強いファンを生み、魅力に感じた人から絶大な支持を得ました。こういった人気が理由でファンタシースターはセガのRPGの柱としてその後もセガを支え続けるのです。

ファンタシースターはその後ハードをメガドライブに写し、続編、外伝、完結編とどんどんシリーズを増やしていきました。完結編の「ファンタシースター千年紀の終わりに」でアルゴル太陽系を舞台とする壮大な物語は幕を降ろすのです。

 

続いてスペースハリアーを紹介します。スペースハリアーは体感型アーケードゲームの移植作品です。ハングオンに続くセガのアーケードゲームシリーズ「体感ゲーム」第二段として発表されました。

おもしろさはもちろんですが映像的にも評価が高かったスペースハリアー。発色数32,000色による鮮やかな画面と、巨大キャラクターを表示できる圧倒的なハードスペックを使い、高いプログラミング技術の導入によりゲーム技術の進化を感じられます。地平の3D表現や多重スクロール、高速スクロール等は当時高い技術を必要とし、機能として時代の最先端をいくゲームだったといえるでしょう。

 

次には紹介するのはファンタジーゾーンです。ファンタジーゾーンはシューティングゲームの歴史を塗り替えたゲームといっても過言ではないでしょう。ファンタジーゾーンが発売された1986年までのシューティングゲームといえば真っ暗な宇宙空間で戦闘機が戦うというSFスタイルがほとんどでした。そこに彗星の如く登場したのがパステルカラーで描かれたポップでかわいらしい世界観のファンタジーゾーンです。当時はじめてファンタジーゾーンをプレイした人は斬新さに驚いたことでしょう。

ファンタジーゾーンには買い物システムという大きな魅力があります。敵を倒してコインを集めアイテムを購入することでその後の戦略性が全然変わってくるという仕組み。まるでRPGのようなこの買い物システムは当時のシューティングゲームでは見られなかった斬新なシステムでした。その後さまざまな作品に影響を与えたともいわれています。

 

最後に紹介するのは北斗の拳です。みなさんよくご存知の北斗の拳を原作とした横スクロールアクションゲーム。北斗の拳を題材としたゲームはいくつか存在しましたが、セガマークⅢの北斗の拳はタイミングが難しく、難易度が高いことで有名でした。当時このゲームをやるためにセガマークⅢを買う人も少なくなかったみたいですよ。

プレイヤーはケンシロウとなり、ユリアを救うために敵を倒しながら進んでいくというストーリーになっています。各ステージ最後のボス線は後に言うところの対戦格闘ゲーム形式での対戦でした。各ステージのボスには専用の背景が存在し、そのときはスクロールのない画面で戦いが繰り広げられるのです。

当時のゲームの趨勢にならい北斗の拳でも裏技が存在していました。例えば特定の操作でケンシロウが無敵状態になるなど。ゲームの裏技機能は話題になったので、今でも思い出に残っている人は多いと思います。

日本でかなり人気のゲームだったため、国外版も「Black Belt」というタイトルで発売されました。ゲームの内容はほぼ一緒ですが、ケンシロウがRIKI、ユリアがKYOKO、敵キャラクターもカンフー映画調やアメリカ製忍者映画調に雰囲気を合わせた独自のものに変更されていました。背景やBGMも少し違い、日本と海外とでの違いもおもしろいと話題になったそうです。

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